2015年03月26日暑さ寒さも彼岸まで。。。

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 まあ、そういうもんでんなあ。。。たしかにねえ。
 今日からポッカポカ。札幌もいきなり二桁でしょ。櫻もいきなり開花しとりますな。

 彼岸つうのは、中国にはありますけど、インドにはありません。お盆は中国にもありません。

 どちらも先祖を敬う日本人ならではですね。「霊魂がある」という前提の元に潜在意識がそうさせてるわけでね。春彼岸も秋彼岸もどちらもご先祖様への挨拶でしょ。
 ♪そこに私はいません♪つうても、いや、おりまんねん、私らが念じればそこにおりますんや、と日本人は思ってるわけでね。

 釈迦も孔子も霊魂についてはノーコメント。「無記」と書いてます。無記=思考を止めろ、というわけっすね。時間の始まりと終わりはいつか。地の始まりと終わりはどこか。霊魂はあるんかないんか。。。んなもんは、考えるな。考えるだけアホやで、つうことでんな。

 正解だと思います。というのは、だれも見たことないっしょ。しょせん哲学の問題。つうことは主観。そこで是非を問うことはナンセンスでね。

 最近、最澄さんの本、読んでるんですけどね。。。あの人は変わり者だけど、えらい人ですなあ。
 空海も最澄がいたから輝けたわけでね。輝けたというのは、能力を100パー以上発揮するチャンスに恵まれたわけっす。
 だって、31歳にして留学僧として入唐した空海がいかに2年間で帰日できるように許諾をえたとしても、九州で4年間待機させられてたわけでしょ。
 
 大目録を用意して嵯峨天皇に提出してあげたのは「謹慎中の空海」では不可能。最澄がしてあげたわけです。で、ようやく上洛できたわけっすよ。

 最澄がどれだけ苦労したか。権利と伝統にあぐらをかいてた奈良仏教に呆れて、さっさと修験者が集まってた比叡山にこもっちゃう。21歳くらいっすよ。

 これも釈迦の求めていた世界を探究してたわけでね。形骸化した「法華十講」等々の法会を始めたのも最澄です。

 いまもそうっすよ。正月になるとテレビで「大般若会」つうイベントがありますわな。これ600巻ものお経の転読ですよ。お坊さんが何人も集まって一斉にパラパラパラっとめくって読んだことにする、つうやつ。
 これ、元々は何日もかけて本気で読むものなんすけど、だんだん簡略化されて、いまやパラパラっす。ざけんなよ、本気で読み通すぞなもし、としたのが最澄なんです。

 ま、厳しい。けど、本物。

 本物だから、6歳も若い空海に密教について教えを乞うわけです。真理の探究のためには地位とか年齢とか関係ない。一途なんですな。
 最澄の目的は大戒壇の設立でした。そのために懸命ですから、密教なんて空海の100分の1も修められなかったでしょ。生きてる間はすべて却下されましてね。結局、戒壇院が設立できたのは最澄の初七日の日でした。

 後継者の円珍、円仁がえらかった。清和天皇から大師号を賜れたのも彼らのおかげ。その後、天台宗からはきら星のごとく革命的な僧侶が輩出しますね。こればかりは巨人空海でも成し遂げられませんでした。

 彼が臨終にあたって述べた言葉がなんとも最澄らしいです。

「仏道に励むのは、国家を利せんがため、群生を度せんがため。国家の利益になれば、民の利益にもなる。仏教の教えによって群生を導けば、自ずから国の利益にもつながる。そのために修行者は仏道に励むのであり、それが本分であることを忘れてはならない」

「輪廻転生して、この世に人身を具えた人間として生まれることは類、希なことである。たいていは、前世の行いによって畜生界、阿修羅界、さらには地獄に生まれることになる。しかも、人身を得たものだけが発心を得て、仏道に励むことができる。
 してみれば、人間として生まれたこの生涯は、まさに千載一遇のチャンスである。その好機にすでに亡くなった者の弔いに時間を費やすのは愚の骨頂である、一刹那たりとも疎かにすることなく、つとめよ、つとめよ」

 いやあ、たいしたもんすねえ。京都に住んでたときはしょっちゅう行きましたがねえ。来月、比叡山延暦寺。これも行かねばならんわなあ。。。


 今日のメルマガでご紹介する本は「古寺歩きのツボ 仏像・建築・庭園を味わう」(井沢元彦著・角川書店・782円)です。