2017年04月22日春の京都その3 知恩院「ミッドナイトin御忌」に行ってきましたあ。。。

カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」

 今日は新潟原原です。第4期がスタートします。メンバーはご参集のこと。。。


 さて、大晦日の除夜の鐘でも知られる知恩院。浄土宗総本山。正式には、華頂山知恩教院大谷寺つうのよ。

 本尊は法然上人像と阿弥陀如来。

 元々は比叡山から下りてきた処に庵がありましてね、そっからこの地に移ります。いまの勢至堂ね。で、現在のような大伽藍になったのは家康の考え。

 なんのために建立したか? それは原原でお話した通りです。


いま御影堂は修復中なんすけど、これは家光の寄進。

 法然て、法然房源空つうのよね。比叡山の奥の奥=西塔黒谷の叡空に師事。で、源光と叡空の名前を取って法然房源空と改名。一心に阿弥陀如来の唱え続ければ極楽往生できる。つまり専修念仏ですな。



 秀忠が寄進した三門は高さ24メートル。東大寺南大門より大きいっす。たしかに禅風ですよ。内部は釈迦如来像と十六羅漢像。天井には龍図。やっぱ禅風です。


予算超過の責任で自刃した棟梁自作の木像が納められてますが、これは表向きの理由。真相は違います。


4月18日は法然御忌(忌日法要)でしてね。全国から上人さんたちが集まってます。

 三門が朝7時まで開放されまして、ずっと「ナムアミダブツ」と唱え続ける「知恩院ミッドナイトin御忌」が開催されるわけで、これに参加したくて仕事にかこつけて詣った、つうのが真相ですね。
 
 深夜にメール。なんと東京原原のMさんから。「ただいま京都到着。これから知恩院に向かいます」とのこと。なんとまあ物好きな。いえいえ仏縁でしょうか。仏のお導きですな。三門内は暗いんですが100人以上はいますからね。

 Mさん、朝イチの新幹線で東京に戻られました。ホント、これだけのために上洛したわけで。そういえば、除夜の鐘も来てるんだわなあ。寒い中、お疲れ様です。

「知恩院の山門は是非上って見たいと思っていたので除夜の鐘を体感して以来、チェックしていました。中は、小さなお寺の本堂と言っていいほど広く、ゆうに100人以上の人がいました。薄暗かったですが、黄色や青で色彩された内部には20体ほどの仏像が並び豪華でした。
 イベント自体は素人向けで外国人やカップル、女性が多く宗教的な重さは薄目でした。それでも暗闇のなかで木魚をたたき念仏を唱え続けると頭が真っ白になった気がします。
 流石に二時間もゴザの上に座っているとお尻も膝も痛くなりました。入るときには40分くらい並びましたが、帰るころ列はありませんでした。
 最後に行こうと決めたのは、英国で選挙とのことで早く出発できることになったためでした」とのこと。



 あのね、知恩院は寺院つうより城塞基地と考えるべきでしょうね。家康は地政学的にこの地を選んでますよ。元もと、知恩院は一番高見にある「上段」にしかなかったんです。それが御影堂のある中段、そして三門のある下段へと大きくしていったのは、ひとえに防衛のためです。

 西には二条城。これは西国大名へのにらみ。知恩院は東国大名へのにらみ。そして間にあるのが御所。
 革命はつねに天皇を戴いて行われますからね。両にらみということです。

 2.5キロの距離が地下トンネルで結ばれている、という古都伝説すらありますんや。