2017年05月07日「そばと湯けむりBAR」の弘前盛岡みちのくツアー その4

カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」

 さあ、続きです。2日目です。なんと400キロもクルマで移動してるからではないと思うけどね。時間のクセが凄いんじゃー。1週間くらい旅しとるかと思うほど。

 昨日はかなり痛飲しましたからね。まずは美味い水を飲みにいきまひょ。大慈清水。


祇陀寺と大慈寺が水源です。

 雛壇形式でして上から飲み水、米研ぎ、洗い水、足洗い水というように、今でも生活用水として使われてます。たっぷり飲ませて頂きました。ああ極楽極楽。おお甘露甘露。

 盛岡から高速で花巻南で降ります。大好きな宮澤賢治の記念館です。1日いても飽きません。


山の上。



「童話 やまなし」展が開催中でした。小さな谷川の底を舞台とした父蟹と子蟹兄弟の物語。


『雨ニモマケズ』の複製手帳。賢治が37歳さで亡くなる2年前の11月3日、病床で書かれたものです。死後、弟さんがトランクから発見されたそうです。
「塵点の劫をし過ぎていましこの妙のみ法にあひまつりしを」という信仰観を表す歌は手帳の鉛筆刺しに巻かれてあったものです。複製手帳にも書かれた紙が巻いてありました。


「雨ニモマケズ」の額です。

雨ニモマケズ 宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

 いつか毒書会を復活させたらいのいちばんに取り上げたいのが賢治です。もう一度全冊読破します。毎日読めるよう電子書籍にしたし。

 さてイーハトーヴの森をあとにして、小岩井農場にいきまひょ。冷たい牛乳を一献。


途中に小岩井駅みっけ。

そこにあったのは『春と修羅--小岩井農場』の詩碑の一部でした。

 大ヒットしましたからご覧になった方も多いと思います。映画「シン・ゴジラ」の冒頭、この『春と修羅』がテーブルに置かれたまま。なんでかなあ・・・。

 「丘かげの茶褐部落」は御所ダムの湖底に沈んでしまった部落でしょう。岩手には茶褐色の岩肌が露出した崖があちこちに見えます。

 この駅の真北に聳えるのが岩手山です。『春と修羅』には「岩手山」という詩もあります。


一本桜と岩手山。

 小岩井の春は早いです。