2007年05月31日「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」 太田直子著 光文社 735円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 ちょうど今朝、仕事しながら、「大逆転」というDVDをつけてたのね。エディ・マーフィとダン・エンクロイド、それに「TRUE LIES」でシュワちゃんのおもろい奥さん役やってたジェイミー・リー・カーティスね。

 もう何度も観てるから、筋は完璧に覚えちゃってるしね。ところが、デッキがおかしいのか、リモコンがいかれてるのか。日本語字幕のまま吹替えで観るしかなかったのね。めったにというより、こんなこと、絶対にありえないんだけど。おかげで、いい経験しましたよ。
 
 「あれ? ひと言? たくさんしゃべってんじゃん?」
 「それ、意味ちがうだろうが!」

 吹替えだとたくさんしゃべってるのに、字幕だとめちゃ少ないの。情報量がね。
 じゃ、字幕なんかいらないのか? そんなことはありません。字幕があるから、スムーズにセリフを理解できるわけだしね。

 けど、最近はそうでもないらしいんだ。外国語がわかんない観客がいるのはわかるけど、字幕の内容もわかんない人が少なくないんだって。
 漢字が読めない。そもそも言葉の意味(もち、日本語!)がわかんない。歴史背景もわかんない・・・早い話が、「ヘキサゴン」の強烈おばか3人組みたいな人が増えてるらしいんだ。

 著者は映画1000本の翻訳を担当してきた字幕屋さん。私も翻訳って3回くらいしたからわかんだけど、字幕はないからねぇ。これ、特殊スキルがないとできまへん。
 でさ、映画のセリフを耳で聴き取って翻訳してるわけじゃないんだって。つまり、「原語台本」てのがあって、それを見ながら、ああだこうだと辞書を引き引き翻訳してるっちゅうわけ。

 映画の字幕ってのは、「1秒4文字」が基本なんだってさ。となると、言葉をどんどんはしょる、捨てる、省く作業が中心になっちゃうよね。
 たとえばさ・・・。
 「どうしたんだ」
 「あなだが私を落ち込ませてるのよ」
 「僕が君に何かしたか」

 ていう会話があるとすると・・・。

 「不機嫌だな」
 「おかげでね」
 「僕のせい?」
 というふうに詰めちゃう。な〜るへそ。

 字幕屋稼業も楽じゃないんだよ。スポンサーは配給会社だかんね。あちらがお代官様なわけ。
 1973年製作の英国映画に『マダム・グルニエのパリ解放大作戦』てのがあんのね。私の大好きな『チャンス』という映画でおなじみの名優ピーター・セラーズが主役ですよ。
 で、彼はこの映画の中でナレーターを含めて7役演じてんだ。もちろん、爆笑コメディなのよ。

 「ほんとに、これ放送するつもりか? やるじゃん」て、思ったんだって。
 なぜか? まっ、聞いてちょうだいよ。

 この映画、舞台は第二次世界大戦中のフランスなのね。で、毎度のことだけど、ナチス・ドイツが出てくるわけ。ナチスに占領されたパリにマダム・グルニエちゅう女将が営む高級娼館があるわけ。
 客はドイツ将校ばかり。こうなりゃ、愛国の徒マダム・グルニエは娼婦とともにレジスタンス運動を展開しちゃうんだ。たとえば、ベッドに敵を引き入れ油断させてグサリとかさ。

 このはちゃめちゃ作品の字幕をやれって話が、2003年の暮れに飛び込んできます。もちろん、衛星放送ね。

ピーター・セラーズの7変化の中身はね。ナレーター、フランスの将軍、英国のスパイ、ドイツ将校、ヒトラー、フランス大統領・・・そしてそして、日本から軍事視察に来たプリンス・キョウト。
 もちろん、「ナチス占領下のフランス」という設定以外はまったくの作り話だから荒唐無稽のドタバタ劇なんだ。「日本のプリンス」といっても、当時、実在のプリンスがヨーロッパを訪ねた史実はないしね。

 けど、日本という国ですよ。「まっ、よぉやったのぉ」と某放送局の英断に拍手喝采しながら、著者は放送を心待ちにしてたわけ。
 ところが・・・だな。

 「あのプリンス・キョウトのシーンはすべて削除されることになりました。ついては、その前後の字幕をつじつまが合うように治してくれませんか?」だって。

プリンスの描かれ方がブラックジョークそのものだったのよ。すけべで俗物で滑稽な人物として描かれてたし。けど、この映画、どんな登場人物も似たり寄ったりなのよ。プリンス・キョウトだけの話じゃないの。

 たぶん、いちばんのネックだったのはラストシーンね。割腹して倒れるプリンスに、カメラをかまえた新聞記者が駆け寄ってひと言いうわけ。
 「ワン・モア・タイム、プリンス」
 こりゃ、不敬は不敬かもね。けど、こんな荒唐無稽のドタバタスラップを本気で怒る野暮天がいるのかなぁ?

 さて、最近の映画はただでさえセリフが増えてるんだって。たしかに、昔の映画は相対的に寡黙だったかもしれませんな。1時間半の映画では字幕は600くらい。いまや、その2〜3倍。みな、よくしゃべる。しかも、一斉にしゃべる。
 これまた好きな映画に『許されざる者』というクリント・イーストウッドが製作・監督。・主演した傑作があんだけど、あれ、物静かな映画だよね。
 もちろん、西部劇だからドンパチはあんだけど、主人公は寡黙、モーガン・フリーマン演じる相棒も寡黙。健さんが2人いるような映画。

 さてさて、字幕は配給会社に最終決定権があんの。字幕内容が勝手に変えられて怒り心頭の字幕屋は多いだろうね。
 著者もすったもんだの末にようやく妥協した字幕があるらしいよ。
 映画のクライマックスで、死を決意した兄が可愛がってる妹と別れる。その際に「バイバイ」と言うんだ。で、少し間を開けて、もう1度、思いを込めて「グッバイ」と言うのね。

 従来の字幕屋なら、聞けばわかるようなセリフに字幕はつけないよ。よけいなお世話だもん。けど、配給会社は「観客を泣かせたい」一心なの。泣かせ度が集客に影響するからだよね。
 で、泣かせ操作のために字幕をこう変えさせられた。

 「僕の大切な妹」
 「さよなら」

 もちろん、配給会社の中でも制作スタッフは字幕屋の味方だよ。
 たとえば、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズがあります。
 これ、原作小説ファンが字幕叩きをしたことで有名だよね。原作原理主義者にはこだわりがあるからねぇ。意訳、要約は許しちゃおけねぇって気持ちもわからないでもない。
 けど、字幕と原作は別個のものなのよ。字幕は映画の補助にすぎないんだ。

 この配給会社の制作部長はなかなかの人だよ。
 どうしたか? なんと、原作ファンが求める字幕をストレートに打ち込んだフィルムを作って上映しちゃったの。もちろん、ウケるわけがない。膨大な字数だもん。「3行、4行当たり前」って、ビックカメラじゃないんだから。
 「ほらね、字幕屋にまかせないとこんなになっちゃうんですよ。わかった?」って、こりゃ、溜飲を下げた瞬間だね。250円高。