2013年04月07日強烈な風。櫻も終わりかな。。。

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ
 たしか、これは井伏鱒二の作。つうか、元々は于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勧酒」ですね。

 この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ
 
 というわけですな。

 花に嵐はつきもので、♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道♪つうのは「愛染鬘」の主題歌ですな。

 散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
 散るこそ花と 吹く小夜嵐

 三島の辞世の句の1つです。

 さて、花といえば櫻。人といえば武士。男といえば舘ひろしさん。舘さんといえば、ハマの舘ひろしもあります。てへへ。
 これだけ吹き荒れますと、櫻も終わりの処もあるでしょうな。もち、これからという処もあるでしょう。八重の櫻はこれからのようですよ。

 有ろじより 無ろじへ帰る 一休み
 雨ふらば降れ 風ふかば吹け

 これで、一休さんは師の華叟宗曇より道号を授かります。「有ろじ(有漏路)」とはこの世=煩悩の世界のこと、「無ろじ(無漏路)」とはあの世=悟り(仏)の世界のこと。

 人生はあの世とこの世の間の一瞬にすぎない。それ以上でもそれ以下でもない。細かいことはケセラセラてなことでしょうか。

 一休は後土御門天皇の勅命で大徳寺の住持に任ぜられますが、1度として寺には住まず、大徳寺を再建した日に辞めて、草庵・酬恩庵に引っ込んでしまいます。後の一休寺ですね。

 元々は後小松天皇の落胤。だから一休さんのお墓は宮内庁が管理してました。
 母親は清盛に愛されて捨てられた祇王のような存在。あまりにも寵愛されたので周囲から疎まれ、一休さんを産む前に嵯峨野に放り出されてしまいました。さぞ苦労したでしょうな。

 お茶は室町時代、村田珠光によって茶道として創始されました。この珠光の師匠が一休さん。そういえば、20年前、船井幸雄さんに誘われて一休寺を訪れ、住職からお茶をもてなされたことがありました。

 一休は珠光に公案を投げかけます。
「趙州和尚に、ある雲水が仏法の大意を訊ねると、趙州は喫茶去と答えた。この公案をどうみるか」
 珠光は黙然としたまま。一休は弟子に命じて茶を運ばせて、珠光に勧めます。珠光が茶碗を手にのせたとき、怒声とともに珠光の茶碗を叩き落としました。珠光は微動だにせず、静かに礼をして座を立ちます。玄関へさしかかります。

「珠光よ」
「はい」
「さきほどは茶を喫む心得を訊いた。もしその心得を離れ、無心に茶を喫むときの心はどうか」
「柳は緑、花は紅」

 一休はにっこり笑って印可を与えるんですね。論理を超えた論理。理外の理。柳は緑、花は紅。あるがまま。無為自然。

 この一休が敬愛した人が大徳寺の開山をした人物。大燈国師です。

 変わり者の弟子に変わり者の師。印可を授けられても断ると、「その悟りを20年間育てよ」と笑って送り出されます。そして京の河原で乞食修業をするわけです。
 花園天皇が大燈国師を探しても行方がつかめない。真桑瓜が大好物。そこで京の河原で真桑瓜を食べさせる、というふれを出させると、乞食がたくさん集まりました。
 役人が「脚なくして来たれ」と言うや、「無手で渡せ」と答える乞食がいました。大燈国師だ、とばれちゃった。

 櫻の下で 狂えや狂え 狂える間に 狂うが命・・・呑舟