2013年07月23日「風立ちぬ」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 忘れないうちに言っとかなくちゃ。本日発売の経済誌『プレジデント』の特集は「人生が変わる勉強法」。読書法について、私が総論をインタビュー回答してます。どうぞご覧になって下さい。



 さてと、これ、傑作。たぶんジブリ作品で、私はいちばん好き。二郎の声やってる庵野さんの抑揚のない淡々としたしゃべり方が好ましい。ふつう、これを「棒読み」というんだけど、実は棒読みがいちばんむずかしいんだよね。

 詩の朗読もそう。感情移入なんかされちゃうと、くさくてくさくて、まるで三文芝居。けど一流役者の棒読みはかえって味があっていい。ま、この人は原画とかエヴァの監督とかしてる人だけど。

 シナリオの言葉の1つ1つが吟味されてることがよくわかりますな。

「いちばん美しい姿を愛する人に見てもらいたかったのよ」・・・まるで『風の盆恋歌』です。



 子どもから大人、シルバーまで楽しめる作品に仕上がってますね。

 風立ちぬ いざ生きめやも。さあ、風が起こった。あなたは生きてください。私の分まで生きてください(文法的には「生きられるわけがない」つう意味なんだけど、ま、いいか)。

 この有名な詩は『海辺の墓地』というポール・ヴァレリーの長詩の一節ですね(門司邦雄氏の訳)。


穏やかな屋根に 鳩が幾羽か
遊ぶ 真昼 樹々の間の
墓石の間の
かげろうの海が
また
寄せては返す この
ひととき いにしえの
神々の沈黙に
じっと
耳を傾けてきたのだ

だから
かげろうが燃えて こまやかな輝きは
泡沫の金剛石を
焼き尽くすという

ことばが安らかに閉じ込めるという
太陽が深淵にひとつ体を休めるという
みなもとが 時に火花を散らさせ
ゆめに時をつげるというのだ

ミネルヴァの知恵のやしろ
しづかな豊かな水
そそり立つ水
かげろうの炎の下の眠りを包むおまえの眼
わたしの眼
こがねの甍の
時のやしろ
ひと息の切っ先に登りつめても
あたりは 海である
おまえは わたしを
けだかくさげすみ
はれやかな火花を撒き散らすのは
神々へのささげものか

わたしはまだ来ぬ先の煙を
すすっているのか
果実の舌の上で溶けてゆくように
口の中で形の死んでゆくように
甘く燃え尽きた魂に
高鳴る岸辺の移ろいを
空は歌うというのか

きれいな空よ 晴れ上がった空よ
わたしの変貌を見たまえ
あれほど高鳴った昔 力はあふれていたものの
あれほど風変わりの駆け足の昔
わたしのたどりつくのは
わたしの影が死者の家々をよぎり
よぎる影のはかなげな足取りで輝く
この時間か

夏至の日のたいまつがわたしを
わたしの魂を いろどり 容赦のない光が
みごとにさばくみごとな光り おまえよ
おまえをきよらかなはじめにわたしは
還そう
というのだ 曇った影の片割れのわたしを
見ているのだから

ああわたしひとりのために
わたしひとりにだけ わたしみづからのなかに
或るこころのそばで 詩のみなもとにおいて
むなしさと清らかな出来事のあいだに
大いなるもののこだまを待っているわたしは
魂の中でたえず未来のほこらを響かせる苦く暗くそして
音高く鳴る貯水槽のわたしは
わたしの肉体の何がわたしをそのなすこともない終わりに
引きずっていくのか
わたしの額の何がわたしの肉体をこの骨の
住む上に引き寄せるのか

もういちど 海よ
かりそめの葉群れの中の囚われびとよ
墓場のこの細い格子をくわえこむ入り江よ
おまえは知っているか
わたしの中の或るひらめきがその地のわが亡き人びとの
ことを考えさせている

閉ざされた 神聖な 物質を欠いた火に満ちた
光に捧げられた一画きの大地
この大地をわたしは好む 炎に虐げられた
金と石と暗い木立ちで縁取られた
いくつもの大理石がいくつもの影の上におののいている
この地
おとなしい海よ おまえはそこではわたしの墓地の上に
眠っている

きらきらしく輝く犬よ 偶像崇拝者を追い返せ
わたしがひとり牧人のほほえみを浮かべて
おもむろに 神秘に満ちた羊たち
わたしの静かな墓地の白い群れを養うとき
そこに気弱な鳩たちを近づけるな
むなしい夢を 好奇心に満ちた天使たちを
遠ざけよ

ここに到れば未来はむしろふたたび安逸である
きれいな虫がこの枯渇を掻きけづり
何もかもが焼かれ 取りくづされ 大気の中の
何かわからないおごそかな大気に容れられていく
生きているものは いないものに酔って広がり
にがみも甘く 精神は晴れ上がる

死者は隠れて確かにこの場にあり
ここでふたたび暖められ その神秘は乾いてゆく
真昼は高く 動かないで おのれを省み みづから
足りている
王冠をつけた仕上げられたあたまの中で
わたしはひそかに変えられていくというわけだ

あたまよ おまえの恐れをとじこめるには
わたししかいない
わたしのくやみ わたしのうたがい わたしのとらわれは
おまえの大きな金剛石の傷跡だ
だが大理石をになって重たい夜の中で
人目を分かたぬ樹々の根の下の人びとは
すでにおもむろにおまえの味方となっている

人びとは厚いいないものの中に溶け込んでいる
赤い粘土は白い拡がりを飲んで
与えられた時も花々の中に過ぎ去って
かれらのすがたも ことばも たましいも ただ
そうとすれば蛆虫だけを 筋をなす涙の中に流している

くすぐられた女のするどい叫び
め は ぬれたまぶた
火とたわむれるかわいらしい胸
身をまかす唇にかがやく血の色
さいごの――それは さいしょの――贈りもの
それにあらがう指
すべてが土に還り たわむれをくりかえすのか
そしておまえよ とうとい魂よ おまえも夢を
のぞむのか
ここで波や黄金が肉の眼に見せる
偽りの彩りとなるときにも うたうつもりか
すべてがむなしく去って わが身すら孔から漏れこぼれ
きよらかないらだちも身は死んでいくには違いないが

黒くしかも金色に光ろうとする萎えた不死
あるいは 死をも母の懐だと信じさせる
おぞましくも月桂冠をいただいた慰めびと
だから うつくしい偽りに うやうやしい欺き
この空っぽの頭蓋骨と永劫の微笑を
知らないものはなく 誰もそれを拒めないのだが
そして
深い地の底の父たちよ 何も住まわない頭よ
何杯もの土を盛られその重みのしたで
大地となり わたしたちの歩みも分かたない人びとよ
いま蝕む者 いま明らかな蛆虫は
墓碑の下に眠るあなたたちとは無縁である
この蛆虫はわたしを食べ わたしを離れない

愛か おそらくは いや
あるいは 自己嫌悪か その蛆虫の
秘められた歯は あまりにもわたしの身近に迫り
友でも敵でも どんな呼び名もそれにふさわしい
奴は 見る 欲する 夢見る 触れるのだ
わたしの肉は奴に好ましく わたしの臥すかたわらに来て
わたしを目覚めさせるかのようだ

ゼノンよ 情け容赦のないゼノンよ
おまえはこの翼をもった矢でわたしを射抜いてしまった
うちふるえ とび しかも とびもしない矢だ
その音はわたしを誘い出し 矢はわたしを殺す
大股に歩いて動かぬアキレスよ
魂にとって何という――ああわたしは――亀の影か

いや違う だから違う・・・起つのだ
あい継ぐ時代のなかに
メタモルフォーセの時間
わたしは胸に
風の誕生を受け
海のにおいをかぐ
塩っ気というちから

荒れ狂うちからの海よ 豹の毛皮よ
太陽の子どもたちに数え切れない孔をあけられた
古代ギリシャのマントよ みづからの
青い肉に酔いしれて
静かななかのざわめきで みづからの
きらめく尾に咬み付く絶対の水蛇よ

風が立ち そよ吹くちからが
活字を飛ばし
岩しぶきがあがり
歓びの波がはねあがり
この三角帆のついばんでいた
穏やかな屋根に
風がふきおこった


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