2016年12月24日入浴剤って美味しいのかな。。。

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 イルクーツクつうと、シベリア。シベリアつうとバイカル湖(タタール語で「豊かな海」)。

 美しい湖でね。長さは東京--青森。ユーラシヤ大陸最大。深さ1742メートル、透明度40.5メートル。琵琶湖の47倍の大きさ。海ですな、海。

 ここは、ちゃっぷいちゃっぷい。ドントぽっちぃつうてね。

 シベリア・樺太からロシアの都市サンクトペテルブルクに行くには必ずここを通ります。

 江戸時代。

 1705年。大阪谷町出身の伝兵衛は漂流後、ピョートル大帝に拝謁。オランダで船大工見習いまで経験した好奇心旺盛な人物。伝兵衛にロシア語習得と日本語教授を命じられ、サンクトペテルブルクには日本語学校が設立されます。今日のサンクトペテルブルク大学日本語学科の原点ですね。

 1710年。紀州の材木船が漂着。生存者サニア(三右衛門)はサンクトペテルブルクで伝兵衛とともに日本語学校教師となります。

 1729年。薩摩の若潮丸がカムチャツカ漂着。乗員のソーザとゴンザが生き延び、1734年に女帝アンナ・ヨアノヴナと謁見。ゴンザは世界初の露日辞典『新スラブ・日本語辞典』を編纂します。1754年にイルクーツクに移転するまで日本語学校を支えます。

 1783年。伊勢の千石船神昌丸は江戸へ向かう途上、駿河灘で暴風雨に遭遇、太平洋を漂流してアリューシャン列島アムチトカ島に漂着。
 船頭は緒方拳主演で映画『おろしあ国酔夢譚』(井上靖原作)にもなった大黒屋光太夫。
 カムチャツカからシベリア総督のいるイルクーツクに入ります。そしてサンクトペテルブルクでエカテリーナ2世と面会。再三の帰国嘆願を受け入れられ、1792年、使節ラックスマンと根室に帰国。
 時の老中は松平定信。10年ぶりに帰国。金30枚を拝領したそうです。

 1793年。石巻から江戸に向かう途中で遭難したのが若宮丸。アリューシャン列島に漂着。やっぱりイルクーツクを経てサンクトペテルブルクで皇帝アレクサンドル1世に謁見。帰国を希望した津太夫らは、レザノフとともにデンマーク、英国ファルマス、カナリア諸島、ブラジルを経てホーン岬を廻航、サンドイッチ諸島、カムチャツカから長崎に帰着。日本人初の世界一周です。
 取り調べは遠山景晋(かげくに)が担当します。金さんのオヤジですな。
 帰国後、仙台藩は大槻玄沢に指示して事情を聴取させます。ロシア正教会に改宗した乗組員は帰国できなかったわけで、彼らもキリシタンという疑いをもたれる中、絵が得意な男が世界中の動物の絵を描いてます。
 
 無学の漂流民にもかかわらず、時の皇帝が謁見してるんですから、凄いモノです。狙いは日本との貿易です。つまり、ロシアという国は執念を持って交易を実現しようとしてたわけです。

 いまのプーチンも同じですよ。

 あまりにも寒いんで、ロシア人の寿命は短い。アル中で亡くなる人も多い。外出するときはウォッカ飲まんと凍死しますからね。ホントに。体内でガソリン燃やさんとあかんわけ。

 それにしても、このイルクーツクで入浴剤飲んで50人超が死亡とはね。ロシア人て凄いでんなあ。入浴剤まで飲んでたとはねえ。驚きですな。

 安くて酔える。酔えればなんでもいい。ラリれるんならシンナーでもトルエンでもいい、つうジャンキーと同じでしょうな。

 入浴剤ねえ。風呂ん中で少し飲んでみたけど酔わんなあ(良い子はしちゃあかんよ)。