2017年06月24日「花戦さ」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 「この中に、仏さんがいてはるなあ」

 これ、花を見て池坊専好がしみじみとゆうてましたでしょ。
 そうなんすよ。東大寺の「毘盧遮那仏」、奈良の大仏ですけど、あれ、蓮華座の上にお乗りになってますよね。「千葉(「ちば」じゃないよ「せんよう」ね)の釈迦」ゆうてね。あそこでは100枚の蓮華座がありましてね。この小さな蓮の中に「蓮華蔵世界」があるんです。

 1つの蓮華には100億の釈迦がいらっしゃって、1つ1つの釈迦はまたそれぞれの世界を表しておりまして、この世も蓮華蔵世界の一部というわけです。

 どこにでも仏がいる。だから山川草木悉皆成仏なんでしょ。仏が仏になるのは当たり前ですから。

 東大寺は華厳宗(大方広仏華厳経=華厳経)を根本教典とする宗派の大本山。正式名称は「金光明四天王護国之寺」。聖武天皇と光明皇后が日本中に創設した総国分寺でもあります。
 総国分尼寺は「法華滅罪之寺」といいましてね、光明皇后のオヤジ不比等の邸宅に建てられました。実は時間切れで秋篠寺のあとに行きそこねたのがここ(法華寺--門跡寺院)なんです。
 
 ついでなんでお話しときますけど、光明皇后は光明子。不比等の娘です。聖武天皇の母親宮子も不比等の娘。つまり光明子の姉なんです。産んでから精神を病んで20年以上経ってからようやく聖武天皇は実母と会えたようですね。

 で、光明皇后の諱は安宿媛(あすかべひめ)ですよ。正式尊号は天平応真仁正皇太后です。権力にものを言わせた不比等が皇后に押し込んだわけです。ま、藤原氏とうまくやらねばならない聖武天皇の意向もあったと思いますけどね。

 光明という名前はどこから来てるかと言えば、「毘盧遮那」という意味からです。サンスクリット語で「バイローチャナ=光明」、「マハー・バイローチャナ=大日如来」ですから。

 国分寺、国分尼寺を全国に建てたのも聖武天皇、光明皇后のアイデアではありません。唐の則天武后(武則天)のバクリです。たぶん遣唐使の吉備真備あたりから、「いま、唐では女帝が天下を動かしています。女帝は自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称した『大雲経』を納める寺(大雲経寺)を全国につくりました」と聞いたんでしょうな。

 なにしろ、西太后でもなしえなかった中国唯一の女帝ですからね。憧れていたと思いますよ。

 華厳宗はこの女帝が帰依して保護したんで大きくなります。

 さて、文禄3年(1594年)、池坊専好が秀吉に披露した「大砂物」(立花)から生まれた伝説をベースにした物語です。


オールスター揃い踏みです。パンフが凄いんじゃー!

 先日、お話した頂法寺六角堂は聖徳太子の創建です。1462年、池坊専慶が花を生けた、とあります。池坊が代々住職をつとめてます。

 70年後、時代は花僧・池坊専好(初代)が執行に就任します。
 花の名前を覚えるにも懸命で人の名前まではカバーできない一途な花僧。
 その愚直で一途な姿勢がみなに愛されます。千利休、町衆・・・愛する人たちを殺された専好は自分なりのやり方で権力者秀吉に挑みます。

 武器は刃ではなく花・・・。
 
 「どの花が好みか」
 「どの花も、それぞれに美しい」
 「では猿はどうですか・・・どの猿もそれぞれの良さがあるのでは」

 なかなかの出来だと思います。