2019年01月01日謹賀新年!

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 あけました。おめでとさんでございます。

 忘れないうちに(今年もか!)・・・紅白、最初から終わりまではじめて見ました。ま、いままでほとんど1秒も見たことないんすけど。えがったなーー。とくに「米津玄師さん」「MISIAさん」「椎名林檎+宮本浩次さん」そして「サザン」と「ユーミン」。オンデでもう1度見よっと。NHKなかなかでんな(「西郷どん」の歴史歪曲と偏向報道がなあ)。

 話を戻して、正月がなぜめでたいか? 新年を無事迎えられた。年を越せた。だからめでたいのです。

 昔は年を開けたら1歳増えることになってました。「数え」ですね。「歳神様」をお迎えするため、大晦日から年明けまで寝ちゃいかん、と玄関を叩いて起こしてまわったわけですね。チビちゃんもずっと遊んでいられるから楽しいのが大晦日ですな。

 西洋ならば、過ぎ越しの祝い。太陽エネルギーがいちばん弱くなる(=短くなる)冬至から、だんだん陽が長くなる、つまり、太陽の力がだんだん強くなる、そのお祝いだからめでたいわけですね。

 年越し蕎麦に年始のお雑煮。食べました?

 私は年末年始はいつもの「断食」です。これ、「大祓」のつもりなんすよ。毎度毎度、穢れ祓いたまえーーです。穢れの塊ですから。

 いまどきはFBやツイッターで「おめでとうメール」の嵐でしょうな。

 大晦日はいつもの定点観測で朝から都内デパ地下をチェックしてきましたけど、「立錐の余地がない」とはこういうことを言うんでしょうな。30日も凄いと感じましたけど、そう思う余裕すらありませんでした。

 ハレのために節約する。ハレを楽しむ。「座って半畳寝て一畳」は日本人の伝統と美徳ですな。

 そういえば、お茶の世界の話。一休から村田珠光に受け継がれた話は本にも書きましたけどね。それから武野紹鴎へと襷はリレーされます。
 その弟子が千利休。原原メンバーには、2年前か3年前か、菩提寺の大徳寺聚光院にご案内したことがありました。国宝狩野永徳の「花鳥図」とか千住博さんの「滝」をご覧頂いたあそこです。利休のお墓があったでしょ。

 利休の月命日には三家がお茶でもてなしてくれます。いつもは非公開ですけど月命日だけは開けてくれるわけでね。

 利休が亡くなり、子孫が武者小路千家、表千家、裏千家、としてそれぞれ受け継いでいきますが、表千家は息子の少庵が三畳の不審庵をつくりました。
 裏千家は、表を譲って引退したから「裏」なわけでね。利休の孫宗旦が一畳半の今日庵をつくりました。
 そして宗旦の息子宗守がはじめたのが武者小路千家。で、建てた茶室が一畳の官休庵。

 どんどん茶室は小さくなる。けど、宇宙は広がる。

 そういうもんでしょ。マクロコスモスあればミクロコスモスがあるわけですから。

 日本人の凄いところは、空間を目に見える世界だけでとらえていない処です。目に見えない世界にも空間はあるんだ、とだれに言われたわけでもないのにはなから受け容れてしまう。これが民族性なんすよね。

 幸福を物量という単位では考えない。心のあり方という物差しで幸福を膨らませたり萎ませたりすることだってできます。「足るを知る」なんてのはその1つの例に過ぎません。

 豊かさを資産とか財産という単位だけで考えないのも日本人。資産はあるけどだれにも愛されない。いまだその死が謎に包まれたドンファンもいるわけで。

 家族みなで食べる年越し蕎麦がサイコーのご馳走っすよ。私は断食してますけど。

 いよいよ今年は天皇様が光格天皇以来の御譲位。皇国を取り巻く周囲の世界はきなくさくなりそうですが、どんな環境になろうとも、「原点」を忘れず、時には「原点」に戻りつつ、地に足をつけて歩いていこう。

 今年の抱負とさせて頂きます。