2019年03月10日三遊亭歌之介師匠、大名跡「圓歌」ご襲名!

カテゴリー中島孝志の落語・演劇・タカラヅカ万歳!」

 ♪やまのあなあなあな、で大爆笑をとった3代目圓歌。「こんなのが行くから戦争に負けるんだよ」と先代三平との掛け合いはサイコーに面白かったっすよね。

 1978年(昭和53年)、この圓歌に弟子入り。滞納してるアパートの家賃を廊下で落語会をやって払った貧乏噺家がこのたび「圓歌」の大名跡を継ぐことになりました。

 襲名披露は来週から上野鈴本を皮切りに催されますけど、記者会見と関係者が集まるパーティがありまして、歌之介いや当代圓歌師匠とは数回しか会ったことがないけど、義兄が長年支援してる関係でご招待頂きました。


鹿児島弁丸出し落語。はじめて聴いたのは「B型人間」だったなあ。


まずご挨拶は落語協会会長・柳亭市馬師匠から。「♪俵星玄蕃」は季節外れなんでなし。「3年前、先代からくれぐれも歌之介を頼むとこの場(帝国ホテル)でいわれた」と打ち上げ話。ユーモアたっぷり。さすがにしゃべりのプロだわな。


続いてのご挨拶は落語芸術協会副会長兼会長代行の三遊亭小遊左師匠。笑点でお馴染みです。


40年来の友人」武蔵川親方(第67代横綱武蔵丸)が大阪から駆け付けてくれました。席は私の隣でしたけどすぐに大阪に戻られました。


縁起物の看板贈呈。実は噺家たちが制作費を積み立ててるらしい。


乾杯のご発声は最高顧問の金馬師匠。めちゃお元気。凄いね、これは。


歌之介さんも出演してんのよ。三國蓮太郎さん主演・神山征二郎監督。映画上映のプレイベントとして師匠の公演とかありましたね。



 帝国ホテル富士の間に500人。見事な襲名パーティでしたよ。よくまあ、これだけぎっしり集めましたな。予定より100人多かったとか。落語仲間、色物もたくさん。舞台で芸を披露してました。

 歌之介さんも偉いけど、先代圓歌師匠は落語協会会長もやり、昭和を代表する噺家でしたからね。

 こういう師匠を選んだのも偉い。師匠と弟子の関係というのは、師匠は弟子をとるかとらないか決定権がありますけど、実は、弟子のほうでもだれの弟子になるか、決定権があるわけですよ。弟子を取らない、自分の芸を極めたい、という人もいるでしょうが、弟子が増え、隆々と一門が栄えていく、というのは師匠冥利に尽きる、と思うわけですよ。

 70、80と齢を重ねていく時、落語ってーのはそもそも枯れた芸だね、名人だね、といわれる個人芸ですけど、「おたくの○○、最近、腕あげたね」といわれる喜びは別次元ではないか、と思うんですよ。

 ま、いたずらに弟子ばかりとってる噺家もいますけど、会社組織にして老後の生活も安泰盤石。「年金」みたいなもんなんでしょうな。

 そうそう、私のテーブルには席が1つだけ空いてましてね。舞台挨拶も乾杯も済んだ頃、縫うように入ってきた人がそこに座りました。

 鶴瓶やないか! 人気者ですな、写真写真写真。会場中から記念撮影頼む客で行列になりましたがな。


鶴瓶さんの隣がギョロ目の高田文夫さん。高田さんの隣がおお懐かしの佐々木信也さんじゃないですか。

 それにしても鶴瓶師匠の人気は凄いですな。なにが凄いかというと素人の関係者ばかりが記念撮影に押し寄せるだけじゃなくて、噺家仲間しかも大御所たちが挨拶に来るのよね。小遊左、圓楽、喜久扇、昇太、たい平とかね。

 私が大好きな噺家たちは奥のテーブルなんで姿も形も見えませんでした。

 こういう商売は売れてナンボですな。売れなくちゃあかんなー。つくづく思うわ。

 鶴瓶師匠で感心したのは心配り。相撲取りでもないしタレントでもないし。でもテーブルを和ませようと話を振ってくれるわけ。残念ながら話そうとすると「写真お願いします」で遮断。それがずっと続きました。

 料理のうち、魚介を特別担当したの日本のフランス料理を牽引したシェフの一人、上柿元勝さん。帝国ホテル総料理長の田中さんと一緒に挨拶されました。鹿児島の鯛を料理。美味でしたよー。

 引き出物も凄かった。洒落て粋でした。お客さん、贔屓あっての芸人? いえいえ、すべてがお客さん、贔屓あって成立してるんですよ。お客さん、贔屓を大切にしなくちゃ。「道行く人もお客様」と幸之助さんはよく言ってましたけど、釣瓶さん見てて、ああ、たしかになあと再認識させて頂きました。

 お客さん、贔屓のために尽くすことが自分を育ててくれるんです。感謝合掌でんな。

 明日も続きます。