2007年02月26日「アグネス・ラムのいた時代」 長友健二+長田美穂著 中央公論新社 882円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 戦後、芸能人のグラビア写真と言えば、このカメラマン無しには語れませんよね。
 私らの世代から団塊世代には超有名人なんじゃないかな。
 秋山庄太郎さん、大竹省二さん、篠山紀信さんとかね、グラビア四天王といっていいんじゃないかな。

 宮崎生まれ。高校卒業してから、カメラマンになりたくて上京したわけ。秋山正太郎さんのライティング技術に憧れたらしい。
 で、1年間そばでじっ観察して勉強したらしいよ。この世界、芸は盗むもんだからね。手取り足取り教えてなんかくれませんもの。

 折からの週刊誌ラッシュで、勤務してた出版社で1956年(私が産まれる前ですな)に「生きる女性」という雑誌を創刊。編集からカメラからこなす毎日。
 創刊から表紙を担当すんだけど、岡田茉莉子、団令子、香川京子(「いもたこなんきん」に出演)、笹森礼子(中学まで大ファンでした!)等々の女優さんを撮影。

 日活映画の男優もたくさん撮ります。裕ちゃん、旭、そしてトニー。
 とくにトニーとはとっても仲が良かった。1960年にデビューして、翌年、事故で21歳という若さで亡くなるわけだけど、生涯でいちばん仲がいい友人だったらしいですな。
 60年になると、今度はテレビ。「週刊ハイライト」では、ザ・ピーナッツなどのテレビスターを撮影。
 この頃はナベプロ一極集中の時代だよ。で、長友さんはナベプロの専属カメラマンになるんだよ。

 そうすっと、戦後の芸能人はほとんどカバーしちゃうんじゃない?

ナベプロでガンガン撮影してたから、その後、ホリプロとかいろんな芸能プロが勃興してくると、「やっぱ宣伝写真は長友さんに」って注文がくるわけね。フォークブームが来ると、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるの面々の写真も撮っちゃう。

 カメラマン人生の中で、ほんの1〜2年でドッとブームになった女の子が2人いました。
 1人はアグネス・ラム。
 私も大ファンでしたよ。というか、日本人に受ける素質十分なのよ。まず大柄でないこと、で、目がぱっちりした美人であること。黒髪であること。で、少なからずボイン(当時の言葉ね。いまなら巨乳?)であること。

 いまのグラビアアイドルみたいにだらしないスタイルじゃダメよ。ほら、巨乳とかいいつつ、ウエストなんかとんでもなく太かったり、むくんでるのか、ふにゃふにゃの脂肪だったりね。
 「ただのデブだろ?」ってグラドルが少なくないもんね。
 けど、アグネス・ラムはちがったもんねぇ。いま見ても惚れ惚れしまっせ。

 この娘のよさは、日本的であることね。家庭的な雰囲気で、夜中までほっつき歩くような女の子じゃなかった。
 ハワイが好きでね、日本の芸能事務所との契約しなかった。だから、日本に滞在するときは長友さんのところで世話したわけ。
 そこにナベプロが目をつけて、例の正月番組である「東西かくし芸大会」へ出演交渉をしてくれ、というオファーがあったのよ。

 日本のレコード会社11社中9社からオファーがあったらしいけどね。アグネスは、ホントに短期間で使われすぎちゃった。スキャンダルがあったわけじゃないのに、あっという間にブームが消えた。

 1971年、彗星のようなスターが現れる。それがもう1人の天地真理さんね。
 シンデレラというか、ここ数年はトンデレラみたいになってるけどさ。元々は可憐な乙女って感じだったのよ。で、この人は、レコードデビューする前にお茶の間で人気がでちゃった。
 TBSの「時間ですよ!」ですよ! ですよのですよって、「エンタの神様」か?
 お手伝いさん役の川口晶さんが妊娠で降板するんで、代役を募集したわけ。だけど、可愛すぎて落選。「あの娘を落としたらもったいない!」って森光子さんが主張して、隣の2階に住む真理ちゃんて役を作ったの。で、堺正章さんと絡ませたら、バカウケ。「水色の恋」もバカウケ。
 ここから、テレビ番組と歌手、グッズとのコラボがスタートすんだよ。

 「水着の楽しさを開眼させてくれたのがアグネス・ラムなら、ヌードの面白さに気づかせてくれたのはフラワー・メグだった」と言うんだけど、このフラワー・メグさんについては、私、初耳です。
 いままで1度も見たことも聞いたこともありません。

 やっぱ1971年にデビューしてたらしいから、当時、私は中2ですよ。
 あの頃、なにやってたんだろうね。知らないなぁ、こんな人。あの頃は麻丘めぐみさんの大ファンだったと思うんだよね。「芽生え」「私の彼は左きき」持ってるもんねぇ。
 けど、この人は知らないなぁ。

 そうそう、この1971年には日活がロマンポルノを撮り始めた年だよ。で、長友さんもロマンポルノの女優陣の写真をかなり撮ってるんだよね。
 たとえば、カレンダーね。1973年〜88年までの間、錚々たるカメラマンが撮影してんだけど、長友さんも74年と86年の2回担当してます。


 それにしても、1971年というのは芸能界にとっては、マジックイヤーだね。これ以前、これ以降って分けられるほどの分水嶺だったような気がしますね。

 長友さんはいろんな芸能人を撮影してきて、もちろん、たくさんのエピソードを宝庫のように持ってます。たとえば、60年代に活躍したスター歌手と70年代以降のそれとでは雲泥の差らしいよ(やっぱ分水嶺なんだよ。戦後生まれの子どもたちが大人になった年なのかなぁ?)。
 なにがって、ひばり、チエミ、いずみの元祖、伊東ゆかり、園まり、中尾ミエの3人娘とかは美人じゃないけど、カメラを向けると、とっさに「いい顔」をするわけ。ところが、それ以降のスター歌手ってのは、どれもこれも同じ顔を作るわけ。没個性なのよ。

キャンディーズの場合は、はじめて撮影するとき、早朝の駒沢公園で待ち合わせたらしいけど、「ホントにこの娘たちなの?」と思ったって。
 あまりにも普通なんでね。
 けらけら笑うし、普段着だし、美人じゃないし・・・。けど、とても明るくて作った笑顔じゃないところがよかったって。

 こういう業界の生き字引みたいな本はいいね。今度、インタビュアーとしていろいろまとめてみようかな。
 残念ながら、長友さんは昨年、お亡くなりになられましたねぇ。享年74歳。いい仕事してましたよ、ホントに。こういう人生っていいよなぁ。280円高。