2007年04月05日「大遺言書」 森繁久弥・久世光彦著 新潮社 1575円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 縁というのは異なもの味なものでござんすな。私が主宰する原理原則研究会という勉強会がありんす。
 ある時、中華料理が食べたくて西武線の某名店をネットでリサーチしてたら、私のブログにヒットしちゃった。あれ、なに、この変な勉強会? 結局、それが縁で参加して数年という方がおられます。

 本とのご縁もそんなもの。

 森繁? 久世? ふ〜ん。社長漫遊記は見てたよ、けど、三木のり平さんが好きでね。もっぱら、そちらを眺めてた。というか、森繁さん、嫌いなの。ああいうタイプ。

 でも、「久世塾(先日ご紹介したよね)」読んでたら、へぇ、久世さんて面白いね。えっ、カノックス? TBS辞めて作った会社?
 な〜んだ。夏目雅子さんの主演デビュードラマを制作した会社じゃん? 「虹子の冒険」はDVD持ってるし、この通勤快読でもずっと前に紹介したよね。

 で、あの向田邦子さんに本格的なドラマの脚本書かせたの森繁さんだって言うじゃない? 目利きなんだ。で、やはり、通勤快読で紹介したけど、潮健児さんの「星を喰った男」でも、森繁さんとのやりとりが書かれて、とっても興味深く読んだのよ。

 そんなわけで、いま、世の中にある森繁さん関係の本だのDVDだのを取り揃えてしまいました。
 鬼のような締切にもかかわらず、今朝も「事件(野村芳太郎監督・出演は松坂慶子、永島敏行、大竹しのぶ、丹波哲郎、芦田伸介)」を見ちゃいました。自分でクビを絞めてます。けど、カ・イ・カ・ン(薬師丸ひろ子さん? やっぱ長澤まさみちゃんだよね?)。

 で、まずは、これからいきましょうか。大遺言書。
 これ、森繁さん89歳、久世さん69歳の本よ。いわゆる、聞き書きというヤツね。

 聞き書きの難しさというのは、たんに聞いてそのまま活字にするなら、だれでもできるのよ。
 けど、そこに聞き手のト書きが絶妙なスパイスになると本線もグッと際だつ。この間合いが効いてます。

 「たしかに、ある人物を模写したいという欲望が役者にあるものです。芝居とは別の愉しみがあります。達磨蔵相といわれた高橋是清とか吉田茂といった人たちです。家康や吉良上野介をやるときはそんなことはありません。生きている姿や声を覚えている人がいないからです。
 吉田茂のときは苦労しました。昭和58年でしたから、みな吉田茂を覚えていました。その上、外貌も喋り方もユニークな人でしたから厄介でした。身長を低く見せるのがいちばん大変でした」

 この映画、ものすごく良かったです。
 大学時代で映画館で観ました。二部に分かれてたの。途中休憩があるほど長編。けど、あっという間に過ぎていきました。
 娘の麻生和子さん役の夏目雅子さんが可憐でねぇ。森繁さん、完璧に吉田茂になりきってました。

 役者の仕事は人を観察する商売です。人の人生を盗み続ける商売です。
 巧い役者は人間観察の達人です。喜怒哀楽で人間はどんな貌をし、どんな声を出すのか。科学者のような目で観察するわけ。
 すると悲しいから泣く芝居ではなくなってきます。本当に悲しいときって泣けないものです。不謹慎だけど笑っちゃう。明るくなっちゃう。けど、何かの拍子でいっきに号泣するもんだよね。

 「七人の孫」(向田邦子脚本)で、森繁さんに抜擢された樹木希林さん。「寺内貫太郎一家」(同)の時、まだ33歳。で、汚ねぇ婆さん役すんの。
 バス停で見た老婆の後をつけます。お金の払い方、バスの乗り方、降り方、話し方、咳払い、動き・・・観察してるうちに老人ホームに入っちゃった。

 で、本番で彼女が用意したのは軍手。10本の指先部分だけをすべてカットしたヤツ。いつも、その軍手はめて演技した。
 たしかに、そんな婆さん、いそうだよ。

 勝新太郎さんもそう。座頭市のメシの食べ方なんか最高でしょ。死ぬほど腹が減って、ようやくありつけたという様子がありありだもん。

 これに匹敵する演技では、「仁義なき戦い・広島死闘編」での北王子欣也さんかな?。
 刑務所で独房に放りこまれるんだけど、主人公の広能昌三(菅原文太さん)がもっそう飯を差し入れてくれるわけ。
 「ゆっくり食えよ、硬いけん」
 両手を後ろに縛られながらも、むしゃむしゃ犬食い。よっほど腹減ってたんだろうなぁ。
 その美味そうなこと。観るたびに唾を飲み込んじゃう。

 勝新さんとは「座頭市」で共演してんの。撮影が終わって宿に帰ろうとしたら、丹波の山並みに陽が落ちる頃。

 「おい、繁さん、なんかやろうよ」
 「もうくたびれたよ」
 「こんなみごとな落日はねったいねぇだろ」
 
 勝新さん、監督だかんね。渋々、森繁さんは応じる。勝新さんと背中合わせに木の幹にもたれる。
 二人の向こうは真っ赤な夕陽。

 「おい、父っつぁん」
 「もういいよ、疲れたよ」
 「あれやってくれ、あれ」
 「あれって何だい?」
 「あれだよ、父っつぁんのあれ」
 そこで、森繁さん低い声で都々逸を歌い出すわけ。
 「ぼうふらが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲みのみ浮き沈み・・・」

 完全にアドリブ。お見事!

 久世さんは、向田邦子さんのことを森繁さんのたくさんある「小指」の中の1本だと思ってたらしい。
 だって、「七人の孫」の撮影現場に連れてきて、「こいつ、センスあるから書かせろ」なんていきなり命じるんだからさ。
 なにかある、と思ったらしいのね。
 それが氷解したのは向田さんが事故で亡くなった時ね。森繁さんは声を上げて泣いた。「男と女」の男の泣きではなかった。「父と娘」の親の泣きだった。

 そういえば、向田さんは超多忙だからなぐり書き。乱筆なのね。当時、「寺内貫太郎一家(TBS)」と「だいこんの花(テレ朝)」を並行して書いてたんだからしょうがない。
 元々踊ってる字に、なおかつ慌てて書くから、脚本を製本するのに印刷所が読めない。だから、どこに持ち込んでも断られちゃう。

 けどさ、中に一軒だけこの稀代の悪筆をすいすい読んじゃう名人がいたの。青山の印刷屋さん。ホントは鈴木印刷って言うんだけど、みな向田印刷って呼んでた。
 そこにませた小学生がいてね。向田さんの書いた「時間ですよ」の刷り損じの本なんかを読んで育った・・・これ、いまや、超人気の脚本家。
 だれかって? 言わぬが花でしょう。本で確かめてよ。100ページ目に書いてるから。