2007年11月04日「質問箱」 谷川俊太郎著 東京糸井重里事務所 1575円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 これ、ほぼ日新聞を発行してる糸井重里さんのとこから出版されてるんですね。
 糸井さんはたんなるコピーライターではありませんね。この人はビジネスをよ〜くわかったプロデューサーだと思います。テレビで対談相手とのやりとり、インタビュアーとしての仕事ぶりを拝見するだけでそれがよ〜くわかります。

 アホなインタビュアーは、たとえば、相手が起業家だとしましょう。ビジネスについていよいよ佳境に入る。仕事のエッセンス、キモの部分について言及しようとしてるのに、「そうそう、それは脳の仕組みで言えば・・・」なんて無理矢理自分の研究分野にもってきちゃう。

 視聴者が聞きたいのはあなたの研究じゃなくて、ゲストの話だということがわかんない。
 で、相手の起業家はまっ聞くだけ聞いてやるかとしばし待ちます。そしてインタビュアーのゴタクが終わると、何事もなかったようにさっきの続きを語るんですね。
 ああ、そういうことね・・・と視聴者は納得するわけです。

 糸井さんの場合、こんなバカなインタビューはありません。
 聞き上手だから? 空気が読めるから? いえいえ、違うんです。どんなことを相手から切り替えされてもすぐに順応できるほど守備範囲が広いからです。

 なによりインタビュー番組のコンセプトや狙い、そもそもの動機等も含めて、全体の構図が頭の中に入ってるわけ。
 このゲストを呼んだ理由はこういうことだな。こんなことをボクに訊かせたいんだろうな、と制作側&視聴者&インタビュー相手の関係という構図が理解できてるわけ。
 だから、いちいち部分の反応したりしないの。おかげで視聴者は本線をけっして外れないから、彼のインタビューは安心して聞いていられるわけさ。

 アホなインタビュアーは佳境に入ろうが入るまいが関係なく勝手にぷつりぷつりと切ってしまいます。結果、視聴者にはイライラ感しか残らない・・ということになります(たぶん、番組から降ろされるだろうな)。

 糸井さん同様にインタビューができるのは村上龍さんがそうでしょうね。あの人もたんなる作家、絵描きではない。プロデューサーです。

 プロデューサーシップのある人は、グランドデザインが描けるんです。臨機応変、縦横無尽、融通無碍なの。台本とかあまり気にしないの。
 乗ったらそのままいったほうが面白いってその場で判断できちゃうの。

 さてさて、本書は糸井さんが聞いてみたかったという企画ですね。
 たぶん、糸井さんは森瑶子さんが翻訳した『質問の本』という本をベースに閃いたんじゃないかな? これね、ものすごく昔の本なのよ。もち、絶版。私は好きなんで古本屋さんで見つけると必ず買います。だから、同じ本が5冊くらいあると思う。

 変な本でね、全篇質問だけ。いま調べたら、263個も質問がありました。ところが、この質問がなかなか鋭いんだよなぁ。回答していると、身ぐるみ剥がされていくっちゅうの? たぶん、禅の公案もこんなもんなんだな。

 で、本書はネットで質問が来て、それに対して詩人が答えるというわけね。
 詩人が答える。あの谷川さんが答えるというところがミソというか魅力だよね。

 少し紹介しましょうか。

「どうして、にんげんは死ぬの?
 さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。」

「ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
 お母さんだって死ぬのいやだよ!
 と言いながら
 さえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
 一緒に泣きます。
 そのあとで一緒にお茶します。
 あのね、お母さん、
 言葉で問われた質問に、
 いつも言葉で答える必要はないの。
 こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
 ココロもカラダも使って答えなくちゃね。」
 
「ふつうの言葉と、詩の言葉の
 違いはなんですか?」

「ふつうの言葉だと、
 たとえば、あなたを愛していますと言うと、
 あるいは書くと、
 それは嘘か本当か、
 それとも嘘と本当が混じっているのかが
 問題になります。
 詩の言葉だと、そういうことは問題にはなりません。
 あなたを愛しています、という言葉が、
 その詩の前後の文脈の中でどれだけ読者を、聴衆を
 動かす力を持っているかが問題になります。
 言い換えると
 ふつうの言葉には、その言葉に責任を負う主体がいますが、
 詩の言葉の主体である詩人は
 真偽については責任がなく、
 言葉の美醜、または巧拙について
 責任があるのです。」 

 なかなか面白いよね、250円高。




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