2015年05月19日「熊野三山&高野山開創1200年祭 お一人様ツアー」あれこれ(その3)。

カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」

 今週末の日曜日は「スピ研」です。ゲスト講師は凄いのでお楽しみに。。。で、講師の道場でやります。秘書さんから「できれば靴下をはいてご参加ください」とのことですので、よろしくね・・・。外はマンション、中は神社とまがうほど生成の道場です。
 
 つうわけで、熊野本宮っす。もうくたくたっす。ちかれたび〜
っすよ。

 トレッキングシューズ履いてくりゃよかったばい。NBは街歩きにはベストのスニーカーなんだけど、底が柔らかいからもんなあ。

 熊野速玉大社、那智大社から、熊野本宮まではまるまる1時間はかかります。


♪天を突くよな大鳥居〜。靖国かと思いましたよ。高さ約34m、幅約42m。

マークは八咫烏っす。。。

 ここ、30年前に詣ったときにはな〜んもなかったんよ。ただのだだっぴろい空間。あれから30年。。。先代宮司さんが鳥居を立てるんだかんね、とかなり頑張ってくれたそうっす。。。

 背後にはこんもりとした森=大斎原が鎮座しとります。


これが大斎原(おおゆはら)つうとこ。

前には2基の石祠が祀られてます。

 「1889年の水害」でほとんど浸食されちゃったんだけど、一度の水害でそうなったわけじゃないのね。ここは熊野川、音無川、岩田川つう3つの川の合流点。つまり、いちばんパワーが集まるポイントなわけ。

 「大斎原(おおゆのはら)」は元もとは中洲。かつての本宮大社には1万1千坪の境内に5棟12社もの社殿が並んでました。さらに何棟もの摂末社、楼門、神楽殿、能舞台、文庫、宝蔵、社務所、神馬舎。。。いまの8倍の大きさだったんです。

 3つの川からは船の乗客が見上げてたっつうんですから、凄いもんす。出雲大社みたいなもんす。

 それだけのものが流されるわけですから、半端ない水害だったんでしょうね。

 で、そもそも、どうしてそんな中洲みたいなとこに社をつくったんや、つう疑問がありますわな。けどね、それは簡単。神様が選んだからしょうがない、つうことっす。人間があれこれゆうたってしゃあないやんけ。


石祠の前には一遍上人の碑があります。

 で、石祠と一遍上人碑の間の芝だけはげてるのね。ここで修験者の方々が護摩炊きをするからっす。

 さて、通りを挟んでいよいよ熊野本宮に詣りましょう。





 えっ、また石段? いえいえたいしたことはありません。那智大社へ向かう熊野古道に比べればね。。。


熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)。現在は山上にありますが、水害で流されるまでは中洲にありました。



 門をくぐって、上四社、すなわち、向かって左手が牟須美(むすみ)・速玉(はやたま)の両神。千手観音と薬師如来。中央は主神の家津美御子神(けつみみこのかみ)。阿弥陀如来。そして右手は天照大神。十一面観音が鎮座されていると言われています。まさに熊野権現は神仏一体、と言われる所以ですな。。。



 延喜7年(907年)の宇多法皇以来、白河上皇9度、鳥羽上皇21度、後白河上皇34度、後鳥羽上皇28度。。。そして弘安4年(1281年)の亀山上皇をもって終結。

 ここまで人を駆り立てるのは、神仏におすがりするしかない、つう末法思想があったからかもしれません。本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智大社は南方補陀落浄土の地。熊野三山は浄土の地。人間、だれしもが救われたいと希う。儚い存在なんだよなあ。

 いよいよ、ここ熊野三山から高野山へと入ります。


 さて、今日のメルマガでご紹介する本は「ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた『やり抜く力』(後編)」(川村隆著・KADOKAWA/角川書店・1,512円)です。