2011年09月25日「マジェスティック」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 ジム・キャリーが大好きなんですね。この前、原理原則研究会でいつものように脱線してしまい、なにかの拍子にジム・キャリーの話に突入。

 私、彼のスタンダップコメディからすべて観てますからね。
「トゥルーマンショー観た?」
「マジェスティック観た?」
 観てないなら、マジェスティックが超おすすめ。。。

 ジム・キャリーというと、たいていわざとおバカな顔をしておどけてるイメージが強いんだけど(実際そうなんだけど)、実は超ハンサム。イケメンでっせ。

 この映画はそんな彼の本領発揮。

 終戦直後から50年代。なにをやってもアメリカは空回り。で、ああいうエリートが政治経済を牛耳ってるおバカな国家ですと、いつも犯人捜しは黒人かヒスパニックか共産主義者か、日本人と相場は決まってるわけ。

 あいつらがジャマしてるんだ。責任転嫁。偏見。傲慢。能なしエリートがいつも陥る習慣ですな。

「ハリウッド・テン」と呼ばれた人がいました。1947年に非米活動委員会に喚問されたのに証言拒否。で、「議会侮辱罪」という、そもそも憲法違反の容疑で起訴されちゃった。そんな10人の映画人のこと。
 自由と民主主義の国アメリカなんてのは嘘っぱちでね。どこの国の権力者も都合が悪いことは隠蔽するわ、邪魔者は消すわ、ですよ。
 で、彼らは刑務所に送られた。

 この10人の中にドルトン・トランボという脚本家がいましたね。あの『ローマの休日』のホントの脚本家。「ホントの」という理由は、友人の名義で脚本を書いてたからね。

 そういうベースを理解してからこの映画を観るといいかも。



 主人公のピ−タ−・アプルトン(ジム・キャリ−)はハリウッドで活躍中の脚本家。女にも金にも恵まれてわが世の春を謳歌中ってとこかな。
 ところが折からのマッカーシー旋風で、ひょんなことから共産主義者と誤解されちゃった。FBIに召還されることになり、怒り心頭で深酒。

 で、車で事故っちゃうわけ。ベンツごと橋から落ちちゃうんだから。橋桁に頭部を強打して記憶喪失。気づいてみたら、ローソンという町に打ち上げられてた。

 オレはいったいだれなんだ・・・。

 みながいうように、この町の英雄ルークという男なのか? わからない。ならば、このまましばらく生きてみようか。そのうち記憶もよみがえるかもしれないし。

 それにしてもルークというヤツはホントに英雄だったんだな。
 戦争に若者がかり出されたまま戻ってこない、そんな哀しみに沈んだ町がルーク登場でこんなにも変わった・・・。ルークの実家は映画館。閉館していたけど、愛する息子が戻ってきたんだ。復活するぞ。みなが手伝ってすごいシアターになった。

「おまえはルークなんかじゃない!」

 片腕を失った料理人が吐き捨てた。けど司法試験に合格した恋人すらオレのことをルークだと言ってる。あいつはオレのことが嫌いなだけなんだ。

 そんなある日、ピーターはかつて自分が脚本を書いた『サハラの海賊』という映画をたまたま観てしまいます。はじめて観たのに俳優が次にしゃへる台詞がすべてわかる。。。

 オレは、オレは、ルークじゃない。。。

 そう、彼はピーターなんだもん。それにFBIに逮捕されちゃった。皆の前での捕り物劇。町の人々も恋人もがっかり。絶望の町へと逆戻り。
 
 ラッキーだったのは、失踪中、ハリウッドの弁護士たちがFBIと巧く取引してくれたこと。「共産主義者と認めて反省し、ほかの共産主義者の名前を告白すればすべて許す」という取引ね。これで脚本家としてカムバックできる。

 そのために審問会に出席しようとするピーター。「恋人」は反対すんだけど。
「ルークだっらそんなことはしない」
「ボクはルークじゃない。ピーターなんだ。反省文さえ読めば無罪放免。読まなきゃ監獄行きだ。自分の幸せを追求してどこが悪い」

 出頭するため汽車に乗るピーターに「恋人」の父親が駆けつけた。
「娘がこれを」
 中を見ると合衆国憲法とル−クからのラブレター。いったい何様のつもりなんだ、あの女は?  

 でもね、ここから事態ががらっと変わります。