2006年12月12日「硫黄島からの手紙」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 硫黄島は東京の南1080キロ、小笠原諸島に属する火山島。いまでは天気予報、とくに台風の時に名前が出てくることでしか知られていないかもしれない。

「硫黄島の戦い」というと、兵力・物資豊かな米軍に対して互角(以上)の戦いをした戦闘として知られているが、その他にはなにも詳しいことは知らなかった(いまだにそうだけど)。

 いったいどんな戦いだったのだろうか?
 

硫黄島の戦い=1945年2月16日から36日間続いた戦争。

 当初、米軍司令官は「攻略は5日間を予定している」と、メディアにも発表していた。
 それが36日間もかかる大苦戦になるとは、米軍も想像だにしていなかっただろう。なにしろ、日本軍20933名の中20129名が戦死しているけれども、米軍でも戦死者6821名、戦傷者21865名という大損害を出しているのだ。

 アメリカという国は計算屋が幅を利かせていて、なんでも予算、予定、目標管理がしっかりしている。
 理由?
 効率性を徹底的に重視するからだ。最小コストで最大効果を得ることが最上とされ、「めちゃくちゃやる!」ということはあまりない。なぜなら、こんなロスばかり出す司令官は無能の証明とされるからである。

 たとえば、ベトナム戦争の時、マクナマラという国防長官がいたけれども、この人、コンピュータ大好き人間で、最小コストで最大効果を生むために投下兵力をとことん計算した。
 で、どうなったか? 机上の計算通りにはいかなかった。それどころか、ゲリラにやられてにっちもさっちもどうにもブルドッグ(古いねどうも)。事実上の敗北宣言のあげく、手じまいしたことは周知の事実である。

 あれから、アメリカはおかしくなった。厭戦気分というか、自信喪失というか。明らかに国にも国民にも「他者を慮る余裕」がなくなった。

 イラク戦争にしても、事実上の内戦状態。アメリカというのは、昔からゲリラ戦には弱いのだ。この「硫黄島の戦い」はアメリカ戦争史の中で最初のゲリラ戦なのである(だれも指摘してないけど)。

 ゲリラ戦とは典型的な弱者の戦法だけど、これほど心理戦として恐怖なものはない。
 私にはベトナム戦争帰りの友人が何人かいるが(もちろん、年はずっと上)、その怖さといったらなかったそうだ。たとえば、「じゃ、またな」とジープの右左にわかれる。片方の足下に地雷が仕掛けられてハンバーガー。
「もし、自分がこちら側を歩いていたら・・・」
 こうなると、もう歩けない。こんなことが毎日続く。しかも、だれが仕掛けたか? 昼間ニコニコしてる商人が夜は変身しているのだ。犯人がだれかわからない。
 こんな恐怖感の中だもの、麻薬が蔓延するわけだ。
 
 さて、栗林忠道中将の使命は米軍に勝つことではない。硫黄島を1日でも長く死守して本土攻撃を遅らせることにある。連合艦隊が壊滅したいま、この戦いには最初から一縷の望みもない。となれば、「水際戦」で華々しく戦うことより、ゲリラ戦を選択するしかない。
 さっさと死ぬことより、生きて生きて生きながらえてこそ、はじめて使命を全うできることになる。だから、玉砕は絶対禁止。

 ところで、硫黄島が「地政学」的になぜ重要だったのか?
 それはここが米軍が上陸するはじめての日本の国土であり、この島を奪われると本土への爆撃が可能になってしまうからだ。すなわち、制空権、制海権を完全に米国の手に奪われてしまうのである。

 硫黄島陥落のあと、B29による横浜大空襲をはじめ、以来、無辜の民に対する「無差別爆撃」が執拗に行われるようになった。
 日露戦争の時に、「皇国の興廃、この一戦にあり」と東郷平八郎は打電したが、太平洋戦争において、最後の守りの要がこの硫黄島だったのである。

 これだけの要衝でありながらも捨て石とならざるをえなかった部隊を率いる栗林中将は、いったいどんな気持ちでこの戦いに臨んだのだろうか。「絶望」などという気持ちは着任前に捨てていただろう。「死中有活」。本土攻撃を1日でも遅らせることができれば本望。この覚悟だけで戦っていたのではなかろうか。

 クリント・イーストウッド監督、そしてスピルバーグとの共同製作映画。
 だけど、これはアメリカの映画ではないな。完璧に日本映画だと思う。
 
 とっても静かな映画だった。もちろん、空爆シーン、戦闘シーン、いつものように上官がむやみやたらに怒鳴り散らすシーンもあったけれども、渡辺謙さん演じる栗林中将があまりにも泰然自若としていたのでそんな残像ばかりが残る。

 軍隊でも、会社の組織でも、上に立つ者の資質でその組織がどういうものか透けて見えるものだ。戦争というのは、一国のリーダーの人間性をもくっきり見せてしまうものなのだ。つまるところ、戦争とは人間性の戦いなのだ。