2009年04月17日ドキュメンタリー映画「小三治」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 今週は映画観てますな。映画じゃなくても、DVD「風のガーデン」まで買っちゃったからね。これ、いいですな。私、連載とか連続ドラマとか観ない主義なのよ。単行本とかDVD化されたらパッと観るというタイプなのね。
 
 で、小三治。

 噺家としての小三治はてえと、たぶん、小さん襲名の最短距離にいたんだと思う。花緑にめんどくせえから襲名しちめえと言ってたし、小さん門下の惣領弟子たる鈴々舎馬風師匠(落語協会会長)からは、「(実力は)小三治でしょう」と高座でよく言ってたし、小さん襲名も小三治だと思っていたはず。
 ま、ご存じの通り、現小さん(6代目)が襲名したいと熱烈に望んだようでその通りになったようですけどね。

 初代に名門無し。小さな名前を大きくするのはその人の精進あるのみ。そのほうがよっほどおもしれえ。
 いま、落語界では父親譲りの大名跡を継ぐ人が少なくないけど、「これが○○か?」と落胆する噺家も少なくないわな。たとえば・・・。やめとこう、野暮だ。芸の世界は所詮一代限りのものですな。

 この前、新宿末廣亭行きましたらね、トリになったらいきなり混むの。おいおいおい、どこから湧いて出てきやがったんでい。なんつって、小三治だからこんだけ湧いて出てきたわけでね。
 わかるんだなあ。三丁目まで来た。ちょいと末廣亭を覗くと、小三治の名前がある。タイムテーブルわかるかんね。4時過ぎに来れば聴けるぜい。で、みな、ここに集中しちゃうわけ。

 今時、席亭でこんだけ呼べる「売れっ子」は少ない。といっても、たかが席亭。人数的にはしれたもん。独演会なんつうと、ほんの数秒で売り切れになっちまう。しかも全国区ときた。



 噺ってのは、江戸時代から足して削って足して削ってと、中身は時代の風雪に耐えて洗練され尽くしたといってもいいわけ。だから、普通にやれば面白いのよ。つまらなく演じられるつうのは、ある意味、才能でもあるな。

 同じネタでもそこに新たな発見があるわけさ。師匠が演じる。鵜呑みにしちゃいけねえ。あれ、こういう意味じゃないの? こうとらえたほうが面白いぜ。こういう発見がある。これが面白い。

 シナリオとしてはほぼ完成形ができあがってる。でも、とらえ方、理解の仕方で、スポットライトの浴びせ方で、中身はいくらでも変わってくるもんさ。指揮者によっていくらでも変わってくるクラシックと同じなんだ。

「知らず知らずのうちに(テーブル)拭いちゃう。柳家一門の癖だねえ。小さんの癖だ。この前指摘されてはじめてわかった。小さんはこんなもの教えなかった。けど、気づいているいないにかかわらず拭いてる」
 意識しなくたって似てくるもんなのよ。だからさ。
「なにも教えることはない。見てりゃいいんです」ってね。

 弟子に落語を教えたことはない。弟子も教わったことがない。落語をそばで見てる。師匠の背中を見てる。いつの間にか、やることなすことが似てくる。「つまらねえ。師匠に似てるなんてこたあ恥だ」と小三治は言うけどさ。

 型を覚えて型を破る。形無しから型破り。そこにオリジナリティつうもんが生まれるんだろうね。

 小三治つう噺家は軽く話せねえ。軽く言っても重く返してくる。まったくもって油断できねえ。柳家三三(さんざ)つう弟子がいる。真打ち昇進披露のとき、小三治はこう聞かれた。

「改名は考えなかったんですか?」
「三三という名前は最高にいい。改名したいと言ってきたらどうしようか思った」
「いい名前ですね」
 質問した人は世辞で言ってるんだろうけどね。小三治の返しはちがうんだ。
「いい名前と思うのはそれだけのことをこいつがしてきたからでしょ」
 ヘボなことしてたらどんな大名跡だろうとヘボになるわけさ。わかる人にはわかる。わからねえ人には永遠にわからねえ。だから油断ならねえ。ま、小三治の魅力でもあるな。

 いい映画です。けど大手配給ラインには乗らず。横浜ではジャック・アンド・ベティ。都内じゃ東中野のボレボレ。考えたコンテンツをそろえてる。でも正直場末。宣伝費無し、営業力無し。支配人自ら1人何役もしないと食べていけない。
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