2007年06月19日「僕はパパを殺すことに決めた」 草薙厚子著 講談社 1575円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 思いは言葉にできません。けど、だからこそ、「おまえを愛している」という意味を言葉や態度で表現する必要があるんですね。
 この事件、表現することがあまりにも苦手な2人が引き起こしてしまった「事故」だったのではないでしょうかねぇ。
 
 それにしても、この事件はつらいですなぁ。救いようがありませんからね。
 去年の6月、奈良で起こったあの事件ですよ。名門東大寺学園(甥っ子もここの卒業なんだけど)に通う16歳の少年が、自宅に放火し、継母とその弟妹を死にいたらしめた、という事件です。

 供述調書3000枚の資料をベースにしてるそうですけど、たしかに、本というよりまんま「供述調書」ですな。よく、本になりましたなぁ。

 調書が漏れたことで、「プライベートの侵害だ」とかなんとかいろいろトラブッてますけど、いい加減なワイドショー情報で毀損された亡くなられた母親の名誉回復を図る意味でも、適正なレポートを発表する行為は十分、意義があると思うんですがね。

 さて、事件は両親とも医師、子どもは名門進学校という、下流社会の住民から見れば絵に描いたようなエリート家庭・・・で起こりました。

 少年をそこまで追いつけてしまったのは・・・あまりに熱心な父親でした。
 「父原病」とでもいうべきものでしょうかねぇ。

 けど、私はこの父親をあまり責められませんな。というのも、もしかすると私自身、この父親と同じ立場になっていたかもしれないからね。
 彼と1つだけ明確にちがう点は、この父親には大きなプレッシャーがあったこと。私にはさらさらなかったこと。これが大きいかなぁ。

 父親は少年の実母と離婚してるんですね。原因は暴力と女性問題らしいけど、自分から離れた妻とその裕福な実家を見返す意味でも、少年を名門大学医学部に合格させなくちゃ、という強迫観念があったと思うよ。

 だもんで、父親はそれはそれは熱心やったんよ。幼稚園児だった少年にスパルタで受験指導。問題ができないとゲンコツではり倒すなど、「愛の鞭」は日常的。
 小学生になると乾電池で殴って何針か頭を縫ったり、頭にシャーペンを突き立てたり、口の中を切る怪我を負わせたり、髪の毛を引っ張ったり・・・おかげで、少年はごっそり髪が抜けたりしてね。

 名門校に合格したら緩むかと思ったら大間違い。計算違いだったのは、名門校だけにちょっとやそっとの勉強では全然追いつかないこと。周囲ができ過ぎるわけですよ。
 そこで、父親が妥協したのは「平均点死守」ということ。そして、平均点に英語が20点足りないことが事件の「トリガー」となるんです。

 「殺される!」
 「殺される前に殺さなくちゃ!」

 ある時から、少年は父親を殺す計画をカレンダーにします。毎日毎日、どうやって殺すかばかり考える。ナイフか木刀か・・・実際に木刀で殺しに向かうと、父親が起きていて機先を制せられて失敗したりね。

 放火した運命の日にしたって、父親は病院にいて家にはいなかったんだよ。
 ならば、中止したら? けど、翌日は保護者会当日だから英語の点数が判明しちゃう。その前に殺したい。殺さないと大変なことになる。殺せば、自分が救われる。けど、当の父親はいない。いなくとも、すべてを灰燼に帰すことができたら父親の戻るところはなくなる・・・つまり、少年はベストの選択がとれないからセカンドベストの選択を採用したわけですよ。
 
 不思議なことに、母親と弟妹が死ぬとは露ほども考えてないのね。放火した後も視野には父親がいるだけで、亡くなった3人の存在はそこにはないんですね。

 少年にとって、父親は目の上のたんこぶだったんよ。この父親がいるかぎり、自分の一生は救われない、と考えたとしてもおかしくないよね。

 弁護士が少年の精神鑑定を請求したことは正解ですね。
 それによると、「広汎性発達障害」−−「自閉症」「アスペルガー障害」「特定不能の広汎性発達障害」などを含む。生来の脂質に基づく発達障害、と診断されています。
 平たくいうと、対人関係で相手の感情をうまく読み取れなかったり、固執やこだわり、反発等の強迫的傾向を示す、といったハンディキャップのことですね。

 これね、男子に少なくないんです。遺伝しますしね。もちろん、女性にも稀にはいますよ。けど、男子が多いんです。

 さて、事件後、父親は少年を訪ねてきます。妻と2人の子どもを殺されたにもかかわらず、やはり、少年を愛してましたからね。

 「息子をそこまで追い詰めてしまったことは、父である私の責任」「息子が戻ってくるまで待ち続けます」「それが私の罪滅ぼしであるとも思います」
 「命をかけて、責任を持って息子を更生させ、息子と2人で罪の重さを背負って生きていくつもりです」
 
 少年との面会でも、
 「暴力ふるったパパを許してくれ」
 「なんでもいいや。服のサイズはあれで合っているか?」
 少年に優しい言葉をかけてるんですよ。

 けど、裁判所はきちんと判断するんです。

 「実父の抱える問題性の大きさからすると、今後、実父と少年との関係改善にも相応の期間を要することが予想される」
 鑑定人はさらにきちんと診断してますよ。
 「父親の衝動性や攻撃性は病的である。少年自身よりも父親のほうが問題なのかもしれない」
 
 私、これ、正解だと思います。
 お気づきだと思いますけど、ホントは、父親のほうが発達障害の元祖であり、本家ではないんですか? 頭ではわかっている。けど、感情を抑制できない。
 一緒に暮らす中、「3人への罪滅ぼしが足りない!」とばかりに1回でも手を挙げたら、その瞬間、この2人の関係は永遠に終わってしまいますよ。脆い脆いガラスの壁であり、砂の器なんだよね。

 いちばんいいのは、父親と少年とを切り離すこと? 少年も父親がいないところが安心できる、というのですから、窺い知れない闇が深層心理に巣くっていると思いますよ。

 こんな親子って、実はたくさんいるんだろうな。少年法を厳罰化しつつありますけど、それはとりもなおさず、本質は親の能力限界にあるんでしょうな。300円高。