2007年12月16日「蜷川幸雄とさいたまゴールド・シアターの500日」 埼玉新聞篇 平凡社 735円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 2006年2月。「劇団員募集 55歳以上の人にかぎる!」。
 劇団の監督は、世界のニナガワ。そう、あの人。灰皿が飛んでくるんで有名な演出家。
 しかし、55歳以上? オヤジとおばさんの劇団? シルバー劇団?

 いや、ちがう。なんたって、募集したのは彩の国さいたまゴールド・シアターなわけ。
 シルバーの上のゴールドなわけよ。

 蜷川さんについては、何度も芝居観てるし、この前、新宿末廣亭で、志ん駒師匠がいつものように海上自衛隊ネタに入る前のマクラに蜷川さんのこと、紹介してました。
 この師匠、鋳物で有名なキューポラの川口出身なのよ。で、幼馴染みがユキちゃんと、蜷川幸雄さん。
「ユキちゃんは頭良かったんだ」
「私も芝居やってたんですよ。大江戸捜査網(テレビ東京系)のレギュラーだったんだから」
 瓦版屋の役ね。で、寄席でわざわざ紋付きの裏地を見せるのよ。
「これはただの紋付きじゃねえ。裏には、ほら、杉良太郎さんからのサイン入り」
 杉さんからのプレゼントだったのね。

 蜷川さんは98年から、彩の国シェイクスビア・シリーズの上演とかやってたのよ。で、この劇場の名前が有名になった。2003年には年間動員数が30万人の大台に乗った。2006年に芸術監督に就任すんの。

 で、彼は20年間温めてきた高齢者の演劇集団を起ち上げようとしたわけ。これにはポーランドの演出家タデウシュ・カントールが主宰する老人劇団がヒントになってますね。

「世界のニナガワ」で集まるか・・・やってみたら、20人の募集に1266人が集まっちゃった。履歴書で落としたくない。で、まる3日かけてオーディションするわけ。
 
「可能性を探している人には誠実でありたい」

 結果、55〜81歳までの男女48人に絞り込んだ。

 といってもね、演劇経験の有無なんて関係ないんだな。だってほとんどの人が素人なんだもの。昔、演劇やってたという人でも、正式にレッスンなんて受けるのははじめて。

「俳優のまねをする必要はありません。何十年生きていて、何のために生きていたのか。年齢や経験を乗せて台詞を語ることはできないのか」

 彼らが集まってきた思いは・・・「最後にひと花咲かせたい」という熱い気持ちだったんじゃないかなぁ。このひと言だけは文中にはまったくありませんけどね。

「弟の介護や年齢を言い訳に挑戦しなかったら、いつか絶対後悔する。自分の人生に決着をつけるつもりで臨んだ」(73歳・女性)

 蜷川さんの狙いはなんだったんだろうね?

「外国の芝居は実年齢の人がやっている。日本はだいたい若い人ばかりで、芝居の厚みがちがう」

『たそがれ清兵衛』を見に行ったら観客は年寄りばかり。岩波ホールのイラン映画『亀も空を飛ぶ』も地味なのに年輩の観客で超満員。

「彼らが受け手でなく、作り手に回ったらどうなるかと思っていた。知的に飢えている人たちがたくさんいる。そういう人たちと一緒に仕事ができないだろうか」

 で、平均年齢67歳の船出・・・。

 中間発表は『Pro-cess〜途上』。そして、初演は『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』(清水邦夫作)。次に『船上のピクニック』(岩松了作)。
 
 蜷川さんも回を追うごとにボルテージがヒートアップ。怒鳴り声が舞台をふるわせる。

「飛ばないと! ちがう自分に出会う楽しみを!」
「ここはしっかり絶品の演技しないとクビ絞めるよ」
「低い声で!」「下手!」

 芝居をしようとしても、最初のひと声から前に進まない。言葉の間、話し方、立ち位置、座る場所まで細かく指示。
「根気比べですよ、蜷川さんと私たちとの」とは劇団員。「負けないぞ」と蜷川さんもつぶやく・・・。

 チケットは発売早々に売切れ。観客も評価も上々。
 平均年齢67歳の素人が歯を食いしばってついてきた。命と命のせめぎ合い。真剣なやりとりに、命が輝いてくる。青春とは心の若さだな、やっぱり。260円高。