2006年06月23日無知の涙!

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 「負けちゃったね」「いい線いってたけどね」
 そんな会話が今日はあちこちで挨拶代わりに話されるでしょうな。対ブラジル戦ですけど、4backsにした意味が全然ありませんでしたねぇ。まっ、今回のFIFAワールドカップの総括は近々させてもらうとして・・・。

 さてさて、山口県光市の母子殺害事件についてお話したいと思います。
 二審まで無期懲役。異例(!)の検察控訴で、最後の最後。最高裁は破棄、二審に審理差し戻し、という判断をしました。司法のみならず、社会に与える影響は甚大ですよ。これ。

 願わくば、自ら結審してもらいたかったですけどね。
 18歳の1カ月という事情を鑑みても、無期では犯罪と量刑とに著しく正当性を欠く、とまで断じ、しかも、裁判官は全員一致なんですから。
 裁判長が退官で、最後に死刑を結審したくはなかったという事情がいちばん大きいでしょうな。

 さて、この事件ですが、ともすれば、あの「永山事件」と対比されがちですね。辿ってきた判決の流れも酷似してますからね。

 けど根本的に違う点があります。それは永山は獄内で猛烈に勉強し、罪を悔い改めていたということです。光事件の被告には反省どころか、成長も進化もまったく見られませんね。
 いよいよ、最高裁で審理が行われるという段階になって、慌てて裁判所に反省文を提出する、という悪あがきぶりだけが目立ちます。

 弁護士(新旧)は人権派と称する死刑廃止論者。しかし、この人たちのやり方もひどかった。法廷戦術に終始し、サボタージュで最高裁から怒りを買う始末。
 しかし、いちばん糾弾されるべきことは、被告と唯一接点を持つ、あるいは被告の生死を握る立場にありながら、この被告に対してなんの教育、感化、刺激も与えていなかったというじゃないかな?
 なんのための弁護士なのか? なんのための人権派なのか? この人たち、論のための論を展開する輩。「イデオロギーの亡霊」としか、わたしには思えないのです。
 もし、彼らが被告を指導していたら、ご遺族の方の心証も変わっていたと思います。つまり、今回の司法判断は形ではなく中身、とくに心の中身を観ていたのだと思います。

 永山事件は、その後、新藤兼人さんが「裸の十九才」という映画にしましたね。
 わたし、主役(原田大二郎さん)がかけてたサングラスに憧れて、高校時代、ずっと真似てました。実は去年までしてた。レイバン製で長年使ってたから折れちゃった。在庫はないし、この形のサングラスはどこも作ってないの。


高校時代に見たんだけど、鳥居恵子さんに憧れましたね。

 この映画、永山像がよく描かれていると思います。
 青森から集団就職で東京に出てくるんですね。いわゆる、金の卵。いまはないけど、渋谷のフルーツ店(東急映画の1階にあった)に勤務するのね。
 想像を絶する貧困の中、悲惨な家庭境遇で育ちます。そんな少年でも、夢を抱いて東京に出てきます。
 「このオレでもでかいことができそうだ」
 だから郷里の友達と会うたびに大きなことばかり言うようになります。しかし、やっぱりここでも挫折につぐ挫折を繰り返すわけです。
 そんな時、ピストルを手にします。この瞬間、変わるんですね。本当にでかいことができるかもしれないって。
 ところが、やったことはわずかなお金を奪うために刹那的に人を次々に射殺することでしかありませんでした。


人は変われる! そんな可能性を信じさせる1冊です。

 「無知の涙」はベストセラーになりました。助命運動まで行われましたもの。
 あの弁護士たちもこの線を狙ってくるかもしれません。なにしろ、あと、彼らに残された勝てる方法は、ご遺族と社会に訴えかけることだけなんですから。

 ところで、永山事件で殺された警備員の方がいます。このご遺族は補償金などをすべて寄付してるんですね。ともすれば、永山ばかりが脚光を浴びる格好になりましたけど、ご遺族の行動こそ賞賛されるべきものではないでしょうか?
 残念ながら、こんなこと、メディアの世界の人たちはだれも知りません。これも悲劇ですね。

 あと忘れない中に言っとくけど、中島孝志講演会(無料)があります。「起業家支援セミナー」っつうんだけど、ご関心の向きはこちらからアクセスしてね。